愛称 | みもりん |
本名 | 大出 弓紀子 (おおで ゆきこ) |
生年月日 | 1973 年 8月 31日 |
出身地 | 東京都北区 |
血液型 | B型 |
星座 | おとめ座 |
特技 | ウクレレ、着付け3級、ペン字3級、英検3級、トランペット |
趣味 | プロレス観戦、ダーツ |
子供時代 | 子供の頃から「のど自慢」のような番組に多数出演 |
短大時代 | 短大では「国際秘書」の勉強 (城西大学女子短期大学部(現城西短期大学)卒業) アメリカへの留学経験も有ります。 |
20歳のとき | 平成6年(1944年) 「山川豊の妹分コンテスト」で準優勝 |
デビュー | 平成7年(1995年)9月25日『おしろい花』 オリコン演歌チャート初登場3位 第35回日本有線大賞 有線音楽賞 |
第2のデビュー | 平成14年(2002年)4月24日『東尋坊』 第29回日本有線大賞 有線音楽優秀賞 作曲家 弦哲也さんの指導の下に、全身から繰り出す圧倒的な 歌唱力を身につけ、生まれ変わっての渾身の曲を披露 |
弦哲也さんご自身も歌手でした。 当時、水森かおりさんの自宅の近くに住んでおり、水森かおりさんのお父さんとは居酒屋での飲み友達でした。
水森かおりさんは、何年も歌手をやってきましたが、あまり大ヒットが出ず、この先歌手を続けていけるのかどうか、迷っていました。
弦哲也さんご自身の歌にかける情熱と、水森かおりさんの更に自分を飛躍させたいという二人の運命的な出会いがそこにありました。
水森かおりさんを絶対に立派な歌手にして見せるという弦哲也さんの、厳格な指導が始まりました。
水森かおりさんは、弦哲也さんの所に自転車でレッスンに通いました。 今まで何年も歌手をやってきた実績もあるのですが、弦哲也さんの求める
ものはそれまでに経験したことのない、全身を使い、体の奥から声を出し、聴く人の心を引き付ける魂を前面に出すことでした。
水森かおりさんは、一時、私にはできそうもないと、あきらめかけたこともありました。 プロとしてのプライドも崩れ落ちそうにもなりました。
でも、やはり、生まれたときから持っている才能は、そんなことであきらめるような安物ではありません。
プロ魂があったのです。 水森かおりさんは歌手として、生まれ変わりました。 一回りも二回りも大きな歌唱力を出せる歌手となりました。
水森かおりさんのコンサートで、東尋坊を歌うとき、水森かおりさんの顔付きが変わります。
その当時の、苦しい自分との闘いのレッスンを思い出し、第2のデビューをしたときのことが脳裏に浮かびます。
そして、キラッと目に光るものがあります。 美空ひばりさんが、「悲しい酒」を歌うときには、必ず幾筋の涙が頬をつたうように、
水森かおりさんにとって、東尋坊は全身の想いが伝わる曲なのです。
デビュー曲 : おしろい花
花シリーズを飾る最初の曲です。
明るい曲調で、結婚式のお祝い曲にもピッタりです。
水森かおり デビュー前の貴重な曲紹介
☆ 歌詞は「貴重CD・DVD」の
ページに掲載しました。
ご覧下さい。
レコードの販売促進ポスター
バックに走っているのは
「あずさ」です。
その他のご紹介
水森かおりさんのコンサートで、水森かおりさん自身が観客の皆さんに教えてくれた内容です。
・テレビ等では、大きく見えますが、実際の身長は153cmです。 そのため、13cmのヒールを履いて歌って
います。 ざっくばらんに話してくれました。 明るい性格です!
・水森かおりさんのお母さんは川口市の出身とのことです。 ですから、水森かおりさんは北区と川口市のハーフ
なんです。
<SSS DREAM> 水森かおりさんのプロフィールをご紹介します。 |
水森かおりさんは、子供のときから、歌が好きで、上手く、才能を発揮していました。
各種の歌番組でも、いい成績を残しています。
それが認められ、JR(当時、国鉄)のキャンペーンの歌を録音して、発表しています。
それは、「アルプスライン305」のテープです。
A面「アルプスライン305」、 B面「夢半島」
アルプスライン305は、北アルプスへの玄関口となる大糸線の南小谷駅が東京駅からの営業キロが305.5kmに
あたることから名づけられたものです。
若々しい声で、伸びがあり、清々しい歌声です。 将来の大歌手の片鱗を感じさせる歌です。
水森かおりさん
「おしろい花」でデビューしたときの
注目新人紹介の記事です!
どうですか。
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東尋坊
水森かおり、渾身の歌唱曲です。